暗黒の木曜日(Black Thursday)
第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは、
大戦への輸出によって発展した重工業の投資、帰還兵による消費の拡張、
モータリゼーションのスタートによる自動車工業の躍進などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的栄光を手に入れた。
しかし、農業の機械化による過剰生産と相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生。
また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力が追いつかず、
ヨーロッパ復興の進展、社会主義化によるロシアの世界市場からの離脱などによりアメリカ国内の生産が過剰になっていった。
また、農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず、投機熱があおられ、適切な抑制措置をとらなかった。
ニューヨーク・ウォール街の群衆そのような状況の下、
1929年10月24日10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。
下落直後の寄り付きは平穏だったが、
間もなく売りが膨らみ、株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落した。
そこでウォール街の大手株仲買人たちが協議し、買い支えを行うことで合意した。
このニュースで相場は値を戻し、数日間は平静を保った。
この日だけで1289万4650株が売りに出されてしまった。
ウォール街周囲は不穏な空気につつまれ、警官隊が出動して警戒にあたらなければならなかった。
シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、
投機業者で自殺したものは、この日だけで11人に及んだ。
後にこの日は「暗黒の木曜日(Black Thursday)」と呼ばれるようになった。
しかし5日後の10月29日、24日以上の大暴落が発生し、
午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態にまでになってしまい、
この日だけで約1640万株が売りに出されてしまった。
株価は平均43ポイント下がり、9月の約半分ぐらいになってしまったのである。
投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。
後にこの日は「暗黒の火曜日(Black Tuesday)」と呼ばれるようになった。
そしてアメリカ経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになる。
過剰生産により米国工業セクターの設備投資縮小が始まったのが、
大きな要因であり、世界恐慌がさらに投資縮小を誘引したため、
強烈な景気後退に見舞われることになった。
産業革命以後、工業国では、10年に1度のペースで恐慌が発生していた。
しかし、1930年代における恐慌(世界恐慌)は規模と影響範囲が絶大で、
自律的な回復の目処が立たないほど困難であった。
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